香港はアヘン戦争(1839~42年)の結果、南京条約によって英国へ割譲せられたアジア最大の良港です。
英国はさきに掌中に収めたシンガポールと並んで、香港を確保することによって東南アジア、中国、日本、太平洋進出への橋頭墾をつくりました。
香港を統御することの影響力は、英国人をしてジブラルタルと対比させるほど大きかったのです。
香港島は大部分が山地で、狭い平地のビクトリア地区に人びとが集中して住んでいます。
現在この地区の人口は約100万ですが、1881年(明治+4年)頃は約16万にすぎなかったのです。
そのうち西洋人は混血人を含めても1万人足らずで、他はすべて中国人でした。
ですから現地の住民に関わる需要は殆ど大したことはなかったのですが、通商貿易の要衝に位置していたために、香港へは世界各国の船舶が多数出入りし、様々な物資を積んで集まってきました。
しかも香港は海関税無税のフリーポートであったため、東洋貿易の物流 相談最大の拠点として日増しに繁栄を重ねていました。
ですから維新後の日本が世界市場開拓にのり出したとき、アジアでは上海とほぼ同時に香港に領事館を開設したことは当然のことでした。