都市の拡大は大西洋岸の商工業都市ばかりでなく、アパラチア山脈を越えた中西部でもシカゴ、ピッツバーグ、シンシナチ、セントルイスなどの新興都市を形成していました。
都市は農業にとっての消費市場であったばかりでなく、農業の資本集約化に伴って追放された農民の流入先でもありました。
都市は商業、交通の中心地として繁栄するとともに、新たに登場してきた綿業や食品や食肉加工の工場の立地点でもありました。
同時に都市はヨーロッパからとうとうとして流れ込んでくる移民の受け入れ場所ともなりました。
・・・1840年ごろになると、それまでに比べて、移民の質も低下してきました。
以前に移民はヨーロッパでの被抑圧者や失敗者であったにせよ、多少財産のあるものもいて、彼らは内陸に入って農園を買ったり、地方で商店を持つことができました。
しかし、1840年ごろにはとくにアイルランドの飢饅やドイツの農業不作を反映して、ほとんど着のみ着のままの姿でアメリカに逃れてきて、たどりついた都市に定着して・・・
いわゆる都市プロレタリアートとなった移民が街にあふれるほどになっていました。