都市の膨張とその貧困者の増大は、新しい国に未知の社会問題を提供しました。
さらに、そのようにアメリカの空間に生じた激しい変貌の中で、南北間の亀裂は拡大し、戦争の危機が差し迫っていました。
農業に表れた商品生産化や西部の開発では南北とも同じでしたが、北部では資本主義的生産方式が進んだのに対し、南部は奴隷制度による黒人の労働集約的生産方式に依存していました。
新しく連邦に加入してくる州に対して、奴隷州にするか自由州にするか、対立は深刻化するばかりでした。
そして1861年、サウスカロライナ州チャールストン港口のサムター要塞で、ついに両者の戦闘の火ぶたが切って落とされたのです。
他方、アメリカ人の内陸における空間「征服」の余地が狭まるとともに、空間支配欲はいっそう拍車がかかってきました。
1845年『デモクラット・レビュー』という雑誌に、その編集者であるジョン・L・オサリバンという男が論説を書いて、当時メキシコ領であったテキサスの併合を主張しています。
その論説のなかで彼は、そのような合併は
「神によって与えられたこの大陸にわれわれが拡大する明白な運命」
・・・であると述べました。